3月28日午前7時。


私は今、プロ野球選手名鑑で選手たちのプロフィールを見ている。一人コーヒーを美味しくいただきながら選手たちのプロフィールを物色している。
プロフィール写真の選手たちは笑顔である。美しいほどの、眩しいほどの笑顔だ。中には、真顔で統一させている球団もあったが、
それはそれでいい表情をしている。

そして、ふとあることに気がついた。

それは載っているほとんどの選手達を未だにテレビで観た事がないということに。 (私の知識が浅いだけかもしれないが)

華やかなはずのプロ野球界で、まだ一度も1軍に上がった事のない選手や、プロ生活のほとんどをファームで過ごしてきた選手が意外に沢山いるのだ。


私は愕然とした。

理由を挙げればキリがないだろう。

実力不足だから、調子が上がってこないから、怪我をしたから。貰ったチャンスを活かせなかったから・・・


これは野球に限った話ではないし、無名のプレイヤーなんて別に珍しくもなんともない。ファームで、それでも毎日頑張っている人を駄目だとも思わないが、
次々と掲示されるプロフィールに、球界の現実に私はなんとも言えない愁いを感じた。

みんな幸せなんだろうか?1軍がすべてとは言わないが、それでいいのかな?

でもまぁ、好きな野球をやってお金貰っているのだから幸せなんだろうな。
 

それとも、プレッシャーや挫折に押し潰されそうになって我慢して野球をしているのかな?

そんなことを考えながら、私は選手達のプロフィールを物色している。選手名鑑を検索しながらまさか人生を考えさせられてしまうなど思ってもいなかった。


かくいう私はしがないサラリーマン。
家族を持ち、人並みに幸せも感じている。

そんな私は生まれも育ちも鹿児島で、東京に出てきたのは今から16年前、1999年の2月のことだった。
先日、仕事帰りに自動販売機の明かりに照らされカプチーノを飲んでいる時、ふと東京に出てきたばかりの頃を思い出した。そして私は自問自答した。

そういえば俺はなぜ東京に出て来たのかな?
 
そういや、東京に来たばかりの頃は毎日楽しかったな。

あの頃の未来に僕は立っているのかな?


私がなぜ東京に出てきたのか。

それは16年前のある夜、ふと立ち寄った鹿児島の本屋からすべては始まった。


何気なく雑誌を見ていると、ある広告が目に飛び込んで来た。

「俺たちは天使だ!ビデオ化決定!」(当時はDVDではなくビデオ)

「俺たちは天使だ!」というのは昔のTVドラマで今は亡き沖雅也主演のコメディタッチの探偵アクションドラマである。
私は子供の頃から「太陽にほえろ!」や「刑事貴族」といった刑事ドラマが大好きで暇さえあれば自分の頭の中でオリジナルのストーリーを作って妄想していた。

だが、視聴率の低迷、かつ世の中トレンディドラマ全盛という時代の流れには逆らえず、「太陽にほえろ!」から続いた伝統ある日本テレビ金曜夜8時の刑事ドラマ枠が幕を閉じた。
とてもさみしかった。とてつもなくさみしかった。

あんなに大好きだった刑事ドラマがもう見られなくなる。
「はぐれ刑事」とか「さすらい刑事」といった人情ものの刑事ドラマはやっていたが、まだ少年だった私には内容が大人すぎてついていけなかった。

しだいに私の中で刑事ドラマへの憧れが消えつつあった。だが、それから数年後、刑事ドラマは再び脚光を浴びることになる。しかも思わぬ形で。


織田裕二主演の「踊る大捜査線」


これまでの刑事ドラマの常識をひっくり返す、いわゆるリアル路線で人気を博すこととなるが、私はこのドラマを好きになれなかった。
かつて少年時代の私にかぎりない夢を与えてくれたアクションドラマこそが私にとっての刑事ドラマだったのだ。

ちょうどそんな頃に「俺たちは天使だ!」がビデオ化されることを知った。

全身に衝撃が走った。


時代は回るとよく言われるが、もしかしたら、これをきっかけにアクションドラマが再び脚光を浴びるかもしれない。
理屈抜きで家族揃って楽しめる、どこかで見た事がある悪役の人達がまた見られるかもしれない。

そう思った私はいてもたってもいられなくなった。焦りのような感情が一気に湧き上がってきた。

東京に行こう。

東京に行って夢のある刑事ドラマをつくりたい! いや、つくるんだ!

かつて子供だった私にたくさんの夢を与えてくれた刑事ドラマ。今度は自分がそれをつくって多くの人たちにたくさんの夢を与えるんだ!

 

東京へ行くためには乗り越えなければならない壁があった。

東京での仕事をどうやって見つけるか?
住まいは?
上京費用は?
引っ越し費用は?

住まいを見つけるには仕事がないとダメだ。だが仕事を見つけるには東京に出て来て面接などをこなす必要がある。
ではその間の滞在費は?
鹿児島から東京までの交通費は?

金なんてなかった。

八方塞がりかと思われた。

しかし、私はどうしても諦められなかった。

そこで私はまず近所の求人雑誌を立ち読みした。

すると!

その雑誌の最後の方に関東でのお仕事特集なるページを見つけた。

新聞配達ばかりだった。

しかし、引っ越し費用も上京費用もすべて負担してくれる上に面接も担当者が地元までわざわざ来てくれるという。
私はすぐさま数ある新聞屋の中から適当に一社を選んで公衆電話から電話した。
そしてすぐに履歴書を書いてその日のうちに速達で送った。二日後には新聞屋の田中さんから電話があった。
そして急だけど明日、担当者が別の面接で鹿児島に行くので明日面接でいいかと聞かれた。
そして次の日、自宅で面接して即採用となった。
そして翌日には新聞屋の担当者の方と一緒に東京に発った。
東京に行くと決めてからわずか一週間の出来事であった。
この出来事は私の小さな成功体験として今でも誇りに思っている。

羽田で飛行機を降り、タクシーで港区白金にある新聞屋を目指した。
首都高から見た暗闇の中にそびえる東京タワーは今でも忘れられない。

そこから私の東京ライフが始まるのだが、住み込みで新聞配達をしながら私はまず脚本を書いた。オリジナルのものを20本くらい書いた。
そして書いた脚本をテレビ局や制作会社、ちょっとした縁で知り合ったある芸能事務所の社長にも売り込んだ。

凄まじい行動力であった。

しかし、どこも反応は芳しくなかった。

新聞屋での不規則な生活とオサラバするべく借金100万円を毎月10万返済し、一年で完済。残り月収5万円の中から少しずつお金を貯めて一年で40万貯金した。
この話をすると、ほとんどの人がどうやって節約したのかと聞いてくるが、節約なんかしなかった。
毎月CDや洋服を買ったし、カラオケも行った。恋愛もたくさんした。途中で17万のスクーターも買った。なのになぜかわからないけど40万貯まった。

そのお金で大田区にあるワンルームのアパートを借りて新しい仕事に就いた。

忙しい毎日の中で、原稿用紙に向き合う時間が少しずつ少しずつ減ってきた。

私が夢を完全に諦めたのはいつの頃だろうか?

燃えるような夢がなくなってからは、自分の目標が見出せなくなり、その場その場でごまかしながら生きてきたように思う。
一時的に上手くいく事はあっても、振り返ると圧倒的に辛いことの方が多かったようにも思える。

夢や目標を失った時に人の歩は止まるのかもしれない。

 

 

 

 

と、 週末野球に行く前は毎回こんな架空のストーリーを妄想して暇つぶしをしています。

まあ、何が言いたいのかというと、夢は諦めちゃいけないよって事だけです。
ジュニアクラスのみんなに将来の夢を聞くと、皆プロ野球選手やメジャーリーガーになりたいと言ってました。

今は下手っぴでも長い長い野球人生、掲げた目標の為に精一杯努力して最後まで走り続けようね!(今日彼らに伝えよう!)

体験もいつでもお待ちしております! 気軽に遊びにきてくださいね!!


おっと、
もうこんな時間だ、 そろそろ六郷へ向かおう。 あいつらが待っている。

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